- 2024/05/03
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さいきん体力がなんかたりない上に、
眠気がひどいことが、マズいと思えていた。
それで1週間くらいまえから、少しはなれた公園まで自転車でいって、
日の出をみるってことをはじめた。
これは2日目にみた日の出、空の色や雲の模様が美しかった。
はじめていってみた日の出。
薄曇りではあったが、太陽のまわりに丸い虹がでていた、
ハロというものであるらしい。
円を描くハロは左右に2か所、より明るい部分があって、
そこは虹の色合いがより強くでていたのだが、
時間がたつとそこがもっとあかるくなり、
太陽が2つあるようなみえかたをした。
これは幻日ってものなのかも、しれない。
初日にそういうのがみれたのは運がよかったし、
翌日に美しい空の色がみえたのも運が良かったのだと、
後からわかった。
今日などはこんなに曇ってしまって。
・・・とにかく私はこの場所がきにいって、
裸足になってねそべり、毎朝しばらく時間をすごしている。
のぼったばかりの太陽の赤い色が、
つよくて白い光になりかけるころになると、空は、おもしろくなくなるため、
ちょっとした木の生い茂る山まで移動する。
幼稚園の遠足になるような場所で、山頂へむかう小路はいろんな曲線を描いている。
連続してのぼると息が切れて、足が止まるような坂がある。
鳥居があり山頂には木花咲耶姫が祀られている。
とにかくそこを出来る限り走って登り、走って降りてくる。
わりとキツいが、ヒグラシやセミの声がきこえ、
白いユリなども美しく、草木の香りもいい。
とにかく汗だくになる。
+ + +
眠気が減って体力がついたかといえば、
まだよくわからない、ヘンに眠いときがある。
しかし日の出の1時間前くらいには
目が覚めるようになった。
そんな朝を今日もこなしたのだが、
昼ごろひどく眠くなってしまって、どうしようもなかった。
贅沢だとおもったが、少し休むことにした。
せっかくだから、ハイアーセルフというようななんらかの存在、
それは守護霊であったり、ガイドであったり、天使であったり、
高次の自分であったりの、総称としてここでは使うが、
そういう存在に、なんでこんなに眠いのか、その原因、
眠け解消法のアドバイス、などの回答を求めてから眠ることにした。
+ + +
よく、能力者やら、そういう書籍をよんでいる人たちは、
問いかけには必ずなんらかの形で答えてくれるとか、いっているが。
ものは言いようだなと思う。
もし答えがなかったときは、それが答えだとかなんとか、
いうんだよね、そういう人たちは。
安易に教えられないことは答えないとか、
自分で考えるべきことだから、答えないとか、そんな風に。
自信満々にそういいわれると、多少ムカっとくる。
自分がそういうことを真実として悟るとか実感しているからこそ、
断定口調でいえてます、という感じが、ムカっとくる。
「・・・というような話を本で読んだ」くらいが、身の丈だと思うことがある。
・・・ま、とにかく、眠いってことに答えを求めて2時間ほど眠ったのだが、
目が覚める直前に、体全体に細かい電気的な圧力のようなのがきた。
私はうつ伏せに横たわっていたから、
背中を中心にそれを感じていた。
すこし前、頭の上からそういう、細かい電気なながれを感じ、
問いかけに対して、その電圧みたいなのの強弱をもって、
応答してくれるということがあった。
そういうなんらかのエネルギーが、
問いかけにあからさまに応答するっていうのは、
それが初めてだったのだが、
今回は背中を中心に照射されるかんじだった。
私はうつろで、眠気の話題ではないことを聞いた。
すると、電圧の強弱ではなく、
ボコーダーで加工されたようなロボットの抑揚のない低い音声のようなもので、
言葉で返事があった。
わりと長文だった。
補足すると、そのボコーダーで加工された低い音声というのは、
YMOのTechnopolisの冒頭の「TOKIO TOKIO・・・」の感じににているが、
もうちょっとボソボソしていた。
何らかの情報発信源が発していたとして、
女神っぽい話し方とか、神々しい話し方とか、そういうののほうが、
よくある感じなんじゃないかって、思ったのだが。
私に聞こえたのは、ひどく、ロボットみたいな音声だった。
+ + +
私がうつろな中で質問というか、その存在に伝えたのは、
幸福の科学の総裁である大川隆法氏につないでくれ、というようなことだった。
その電気的なエネルギーに、私は、どういう根拠をもってか分からないが、
大川隆法氏との関連するものを感じたのかもしれない。
そこで何かをいわれたのだが、ききとれない部分があった。
しかし聞きとれたのはこんな内容だった。
「伝えてほしくないことを伝えないようにして、伝えることもできる。
よって、まだ修業がたりない。」
それがどういうことかといえば、
なんらかの存在は、私がききたくもないような内容を、
伝えることもできる、というようなことを示したうえで、
そういうききたくもない内容をうけとる準備はあるのか?
あたたにはまだない、修行しなさい。
というようなことであるかもしれないなと、私はうけとった。
違うかもしれないが、とりあえずそう思った。
+ + +
私がスピリチュアルに関心があるのは、いくつか理由があるが、
ただただ、興味や関心があるというミーハーな部分もあり、
それをもって、誰かの役に立ちたいと、真摯に思っているわけでもない。
能力や感覚がひらき、いろいろ感じられたらすばらしいように思えているが、
みたくもないものをみてしまう、感じてしまって、しんどいのはヤだなと、
思っている部分がある。
そういうのがダメってことだとすれば、
覚悟しないと、いけないな。
そのた修業ってことについていくつか思い当たることがあるのだが、
いちばんピンときたのは、私が日の出をみにいったり、
ちょっとした山に駆け上ったりしていることであるように思った。
瞑想には静的瞑想と、動的瞑想があるときいたことがある。
瞑想音源のようなものを、過去なんどかきいたことがある。
ガイド音声が文書うで誘導するタイプのものもいくつかきいたことがあるが、
全般にちょっと苦手。
それっぽいナレーションにいやらしさやムリを感じるか、
笑ってしまうからだ。
そういう音源による瞑想は静的瞑想であるかと思うのだが、
私の場合、そういう音源などで説明されている瞑想の状態になるのは、
山を駆け上っているときの方だ。
その感覚が動的瞑想ってものなんだと思うのだが、
そのときの感覚を自分の中に覚えさせ、実感とかそのエネルギーみたいなのを、
保つことが、今の私に必要な修行なんじゃないかと、思えた。
同時に、屋内瞑想と屋外瞑想ってものも、
あるのかなと思えている。
誘導瞑想なんかでも、ここちよいそよ風が、とか、太陽の日差しがどうのこうの、とか、
ここちよい自然環境の中にいる自分をイメージさせられることが多い。
しかし、それをいくら屋内でやろうとしても、
屋外でのそういうここちよい体験の蓄積がない場合、
もしかしたら、わりと・・・むつかしいかもしれないと思った。
屋外瞑想、それも、わりと豊かな自然の中での時間を体験としてやることが、
もしかしたら、ずっと都会暮らしだったような人間が、瞑想するあたっては、
必要なのかも、しれない。
+ + +
修行っていうのは、そういうののほかに、
自分が受信したなんらかの情報、または能動的にとってきた情報について、
その整合性・確実性の確認作業もしながら、
精度をあげていくような修行も必要だということかなと、思う部分もある。
なぜ眠いのかってことは、折角の機会であったのにきけないまま、
結局わからないままだったが、
もしかしたら修業が足りないから眠いっていうことだったのかもしれない。
・・・どうなんだろうな。
メッセージが文章できこえる場合、
低級の存在みたいな話もみかけたことがある。
もしかして悪霊かなんかだったんだろうか。
いづれにしても、そんなボコーダーのロボットみたいな声で、
伝えてきたって話、みかけたことがない。
しかしイヤな感じはしなかった。
また何か伝えてくるとしたら、こんどは、どんなことがあるだろうか。
多少期待してみたくもなったが、
修行しないと、次はないってことなのかも、しれないしな。
よくわからないが、とにかく修行だ、修行。